アロハ合奏団2024年コンサート夏公演第二部より「オリンピックファンファーレとテーマ」楽曲紹介

演奏曲の紹介♪

この音楽は、言わずと知れたロサンゼルス1984年夏季オリンピックのテーマ曲です。世の中に初登場してから40年が経過しましたが、未だに「オリンピック」といえば必ず皆さんの脳裏に流れる音楽だと思います。

ジョン・ウィリアムズ氏がオリンピックに関係する音楽を作曲するのはこの楽曲が最初ですが、その後1988年ソウル夏季大会の際に米NBC放送用に作られた「オリンピック・スピリット」、1996年アトランタ夏季大会のテーマ曲「サモン・ザ・ヒーロー」、そして2002年ソルトレイクシティ冬季大会のテーマ曲「コール・オブ・ザ・チャンピオン」を続々と生み出しています。

以下、多少オタク的ですが、当時の映像や資料を基に開会式の様子を記します。

<ロス五輪開会式の様子>

さて、1984年7月28日、LAメモリアル・コロシアムのフィールドに大勢の人が金色・白色のバルーンで五輪マークを作って待機している中、午後4時35分(日本時間、朝の8時35分)に、LA中の教会の鐘が響き渡ります。

オリンピック・ファンファーレ

そして、鐘の音が収まった後、コロシアム中に配置された約120人のトランペットとドラム隊による、この楽曲の冒頭ファンファーレ部分が鳴り響いて、ロス五輪の開会式の幕が開きます。

ウェルカム・ソング

マーヴィン・ハムリッシュ作曲による世界中を歓迎する音楽の最中、突如空を飛ぶ「ロケットマン」がフィールドに降り立ちます。

レーガン大統領・IOC委員長・大会組織委員長入場

行進曲「国民の象徴」が流れる中、レーガン大統領夫妻、サマランチ委員長、ユベロス組織委員長の入場、そしてアメリカ国歌です。

ショー『ミュージック・オブ・アメリカ』

ここから、それまでのオリンピックでは考えられなかった、約1時間にもわたる壮大なショーの始まりです。とにかく規模が大きい派手な演出が次々と繰り広げられます。800名のマーチングバンド、410名のダンサーや多くの馬車、300名のゴスペルコーラス、地元高校生1500名のダンス、極めつけは「84のピアノとピアニスト」による「ラプソディー・イン・ブルー」です。

観客席による世界の国旗パフォーマンス

アナウンスに従って観客席に仕込んであったカラーカードを掲げると、競技場に世界中の国旗が現れて大盛り上がりです(今となってはかなりアナログなパフォーマンス)

やっと式典がはじまる!

オリンピック旗の引継ぎの儀式(ただし冷戦中で前回モスクワ大会開催のソ連は不参加なので旗はレプリカ)が終わったら、満を持してジョン・ウィリアムズ氏が登場です!

☆そして名曲の演奏が始まる☆
フィールドにはフラッグを持った何百人の人文字隊。作曲者ジョン・ウィリアムズ氏ご本人のタクト、地元の名門ロサンゼルス・フィルの演奏で、この歴史に残るオリンピックテーマ曲が完全な形で姿を現したのです。

その後ようやく「選手の入場」「要人のあいさつ」フィリップ・グラス作曲の音楽に合わせ「聖火の点灯」など通常の儀式が終わり、エンディングはベートーヴェン「歓喜の歌(第九より)」とダイアナ・ロスの曲「リーチ・アウト・アンド・タッチ」(歌ったのは別の人)と共に開会式は終了。

ロス五輪と冷戦、その後のオリンピック、平和な社会の推進と今の世界

この大会を皮切りにオリンピックが「商業主義」に変わったと揶揄されますが、自治体から一切の費用が出ない事から知恵を絞って費用を捻出し、結果生じた多額の黒字は様々なスポーツ振興につぎ込まれたわけですので、あながち良くない事ばかりではなかった筈です。

ただ、上にも記しましたが、1980年モスクワ大会の前年の年末、当時のソ連によるアフガニスタン侵攻に抗議して、アメリカ・西ドイツ・日本など西側諸国を含む約50ヶ国が大会をボイコット。当然のごとくこの1984年のロサンゼルス大会には対抗処置として東側諸国がボイコットするなど、冷戦の最中に行われているという事を強く認識する大会でした。

オリンピック憲章には「平和な社会の推進」とあります。ひるがえって、今日(こんにち)の世界では、2年前に旧ソ連=ロシアによるウクライナ侵攻、昨年にハマスとイスラエルとの戦争が勃発し、その他各地でも紛争は絶え間なく続いています。本年7月からは「パリ大会」が始まりますが、再び「80年代のあの頃」のような空気感の中、大会が開催される意味をよく噛みしめて演奏したいと思います。

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